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風沢そらと 姫里マリアが 恋をする理由「妖精対風沢そら」

*この物語はアイカツ!第68話「花咲くオーロラプリンセス」のプロットを元にした二次創作小説です。
是非エピソードをご覧になった後お読みください。

人物紹介

グリーン・グラス
ブランド「オーロラファンタジー」デザイナーを務める柊リサ、柊エレナの双子姉妹。
元絵本作家であり、オーロラファンタジーのドレスも絵本から出てきた妖精のような世界観である。
極度の人見知り、筆不精。

風沢そら
ドリームアカデミーに通うアイドル兼ブランド「ボヘミアンスカイ」デザイナー。
セクシータイプ。自由な生き方に憧れている。

姫里マリア
ドリームアカデミーに通うアイドル。キュートタイプ。
高原で育ったお嬢様でおもてなしの心を大切にしている。

■風沢そら

 デイジーが手の中で静かに香っている。
 少し前までお弁当屋さんの隅に咲いていた花はあたたかい想いに包まれている。
 わたしはそれが消えてしまわないようにと怯えながら指先の神経を意識する。
 わたしは大切なものを届けなくてはならない。

 今日、マリアの手に触れたのは二度目だった。
 朝にガーデンでネイルを塗ってもらった時とついさっき、デイジーを受けとった時。

 わたしの手と違ってマリアの手は柔らかくて、握ると崩れてしまいそう。
 崩れるのが怖くて手を握り合ったりしない。
 それは多分どこかでマリアもそう思っている。
 手を握ること自体には意味があり過ぎる。
 それはわたしたちにとっては束縛に近い行為。
 そしてその先も。

 …だからわたしとマリアの間にはいつも何か別の意味が介在している。
 たとえばネイルの手入れであったり、デイジーの花であったり、そういう具合に。

 ドリームアカデミーは海に面した開放的で都会的なところにある。いちごちゃん達のスターライト学園が森のなかの由緒あるお嬢様学校なのと比べれば対照的。最新のテクノロジーによって支えられた設備は学び舎として最高に近い環境だと思う。設立されて日は浅いけれどアイドルコース、プロデューサーコース、デザイナーコースそれぞれ実績を出し始めている…って言ってもいいはず。わたしがボヘミアンスカイというブランドを立ち上げたのも夢咲ティアラ学園長の強い後押しがあったからだし、決してわたしひとりの成果じゃない。きいがセイラのプロデューサーもしていることや、セイラがロックなアイドルとして注目されているのもドリームアカデミーの特色を生かしたもの、もうひとつのアイドル活動。そしてマリア。セイラときいがデビューする前は、わたしとマリアだけで一緒にアイカツすることが多かった。わたしとマリアはドリームアカデミーが急躍進する一連のキャンペーンの、最初の中心的存在だった。つまりは看板アイドル。

 ドリームアカデミーには他にも魅力的なアイドルが多く在籍していたけれど、わたしがそういう役割を貰ったのはたまたまだったと思う。わたしは手先はともかく立ち振る舞いについては器用な方ではないし、なるべく自由にありたいと思ってる。周りの人はわたしについて個性的な印象を持ってくれているみたいだけど、わたし自身のことはよくわからなくて、いつも決定的な言葉をくれるのはティアラ学園長だった。神崎美月さんがドリームアカデミーのアドバイザーをしてくれていた時も、わたしを方向付けてくれるのはティアラ学園長だったと思う。わたしはいつも迷うけれど、少しあとでやっぱり光栄だなって感じることが多かった。

 マリアと最初に会ったとき、わたしはどうしてこの子がドリームアカデミーにいるんだろうって不思議だった。マリアはお嬢様系アイドルとしてはほとんど完璧で、どちらかというとスターライト学園にいそうなタイプだと思った。あとでわかったことだけれど、高原で育ったマリアは意外に体力もあって、スターライトの試験がとても難しいと言われていても、受けて落ちるような子じゃない。わたしは姫里マリアっていう子が、もしかしたらわたしと似ているのかと思っていろいろ聞いてみた。そしてわかったのは、マリアは試験を受けてアイドルになったわけではないってこと、ティアラ学園長が山でスカウトしてきた子だってことだった。マリアは面白そうと言ってそのスカウトを受けたみたい。わたしは、わたしの誤魔化してきた何かを刺激されるような気がした。ティアラ学園長はいつも突飛なことを言う。でもそう聞こえるほどには思いつきで言ってるわけじゃないってことも知ってる。そして、わたしを後押しするティアラ学園長の言葉と、マリアをスカウトした言葉は少し違うものだっていうことも、なんとなくわかるんだ。マリアはあまり迷っていないみたい。マリアは目の前にあるもの、身の周りにあるものをちゃんと受け入れることができる子だし、その上で自分らしさも持っている。わたしとマリアは似てなんていなかった。

 マリアはわたしのことをどう思っていたのだろう。
 マリアの周りにはいろんなものが集まってくる。
 わたしもそのひとつだったのかも知れない。

 わたしは、かわいい子だなって思った。手を伸ばせば触れられるというこの距離にかわいい子が来たなと思った。そしてわたしがヘアアレンジやコーディネートすれば絶対にもっとかわいくなる。でも同時に、マリアはわたしの意図を完璧に読み取ってしまうんじゃないかって思った。わたし自身もまだ言葉にできていない些細な感情まで…。

 わたしは誰かに魔法をかけたいと思ってる。魔法っていうのはどこか謎めいた部分がなくてはダメなのに、きっとマリアには筒抜けになってしまう。そんな気がした。だからわたしはマリアにだけはあまりクルクルキャワワってすることができなかった。わたしたちがお互いを知りすぎるのはよくない。ドリームアカデミーの真の看板アイドルを傷つけてはいけない。

 どちらかというとマリアの方から声をかけてくれることが多かった。ずっと山で育ってきたマリアにとって、都会的な暮らしはわからないことだらけだったみたい。わたしも都会っ子というわけではないけれど、世界のいろんな国を巡ってきたからか、それなりに勘が働く。オフの日はふたりで出かけることもあった。マリアはコスメに興味を持ったみたいで、よくそういうお店に行った。高原を裸足で駆けるような一面もあれば、コスメに凝るような一面もあって、マリアは面白い。わたしはよく他の生徒のスタイリングについて相談を受けることがあるけれど、マリアはそういうことを言ってこない。むしろ、わたしがコスメのことをマリアに聞いたりするし、そういう時マリアはすごく嬉しそうな顔をする。マリアは、わたしの爪を塗ってくれる。ネイルは定期的なメンテナンスが必要で、マリアはいつも適切なタイミングでわたしの爪を綺麗にしてくれた。
 セイラときいがデビューして、ドリームアカデミーもようやく軌道に乗ったあたりから、わたしはマリアと一緒の現場が少なくなった。セイラやスターライト学園のいちごちゃんたちと過ごすことが多くなった。あれもティアラ学園長の采配だったのかな。

 今日、久しぶりにマリアと会った。そして爪を塗ってもらうのも久しぶりだった。

 マリアといちごちゃんはちょっと似ている。
 マリアはデイジーの花を届けてほしいと言った。
 マリアのドレスを製作しているオーロラファンタジーのデザイナー、グリーン・グラスさんに、デイジーのイメージを届けてほしいと言った。

 そしてマリアからデイジーを受け取ったとき、 今日、マリアの手に触れたのは二度目だな、と思った。

 いちごちゃん家の前で姫里の所有するヘリコプター、プリンセス・ワンに乗って屋敷へ帰るマリアたちを見送ると、そのすぐあとに別のヘリコプターがわたしを迎えに来た。プリンセス・ツーに乗ってオーロラファンタジーのトップデザイナーのところへ向かう間、わたしはずっと空を見ていた。デイジーが手の中で静かに香っている。少し前までお弁当屋さんの隅に咲いていた花はあたたかい想いに包まれている。わたしはそれが消えてしまわないようにと怯えながら指先の神経を意識する。

 わたしは大切なものを届けなくてはならない。
 マリアのイメージが託されたデイジーを、トップデザイナーの下に届けなくてはならない。

 ガラス張りのお城が見えた。まさに水晶宮だった。中は温室になっていて大きな木や花が植えられている。誰もが憧れるような、幻想的な建物。こんなところに住んでるのはきっと人間じゃない。そう思った。デザイナーたちはみんな変なところに住んでいる。ドレスのインスピレーションを得られるような、俗世間から離れたところ。空の旅が終わった。わたしはデイジーを鞄の中にそっと入れた。降りる時にローターの風で飛ばされてしまう気がしたから。

 屋敷に鍵はかかっていなかった。声をかけても反応がなかったのでそのまま入ることにした。もしトップデザイナーしかいないのなら、この建物は広すぎる。アシスタントや家政婦もいないなんて。ヘリコプターに驚いて隠れてしまったような、不穏な静けさが漂っていた。さっきまで誰かがいたような気配がそこら中にあるのに、誰も見えない。
 生い茂った植物の間をかきわけるように進んでいく。
 温室の中にはいくつものトルソーに制作中のドレスがかかっている。
 珍しい草木とトルソーが区別されていない。
 ここではわたしたちのカタチが―コルプスが―わからなくなる。確信が持てなくなる。

 季節も、昼夜の時間感覚も、この温室の中ではよくわからない。生暖かい一体感がわたしの周りを取り巻いている。
しばらく歩いても人の姿が見当たらない。わたしは本当に妖精の国へきてしまったのかと思った。ふと、ボヘミアンの人たちもここを探していたのかなって考えが過ぎった。どこでもないどこか。クスリで消えてしまわない土。

 まさか…。

なんだか調子が変かな。いつものわたしと少し違う。何か戸惑っている?何に?わたしはマリアのイメージを伝えにきた。それだけ。

「こんにちは。風沢そらさん」
「こんにちは。風沢そらさん」

 変なかたちの植物の向こうから突然、ユニゾンした声が聞こえた。あたしはそのことに少し驚いて、少し驚いたことにまた驚いた。わたしはその声の主に会いに来たのだから。わたしはなにをしているんだろう。この空間ではいまいち気配を察知しづらい。ただそれだけのはず。
「ボヘミアンスカイのデザイナーが、私たちになんの用かしら」
「ドリームアカデミーのトップアイドルが、私たちになんの用かしら」

 オーロラファンタジーのトップデザイナーであるグリーン・グラスは双子の姉妹だ。まったく同じ顔、同じ佇まい。わたしの認識の方がおかしくなってしまったのかと思うほど、その存在感は異様だった。
 グリーン・グラス―柊リサ、柊エレナの姉妹はその姿を重ねたり、また別れたりしながらわたしに近づいてくる。
 アイカツシステムを使わずに、本当の分身をやってのける。まるで、見せつけるように。

「デザイナー会議以来でしょうか、グリーン・グラスさん。まだわたしのブランドは立ち上げ前でしたがご挨拶いたしました」
「えぇ、もちろん覚えているわ。私たちがこの水晶宮から出た、数少ない外出の機会でしたもの」

 アイカツ界のデザイナーはひきこもりな人も多い。

「それにしても、本当に空からやってくるのね。ヘリコプターの音が聞こえたとき、もしかしたらって思ったのよ」

 もしかしたらって、どういう意味なんだろう。
 わたしにとって空はとても大切な言葉。わたしの名前でもあるし、ブランドの名前でもある。でもわたしは空に憧れているのであって、空にいるわけじゃない。そう、わたしはわたしのいるところを言葉にしていない。

 突然の訪問に気を悪くしてしまったかも、って思っていたけれど、グリーン・グラスというデザイナーはわたしをちゃんともてなしてくれた。

「作業の邪魔をしてしまったかもしれません」
「いいえ、そんなことないわ。それに、よく誤解されるのだけれど、私たちは人と会うことを避けているわけではないわ」
「そう。誰かの訪問はとても嬉しいことなの。ただ、場所にこだわっていないだけ」
「場所にこだわっていない?」

 よくわからないけれど、そこには明らかに自由という言葉が意識されてる。空間に対しての自由。

「私たちにとって誰かと会うということは、同じ場所にいる、ということではないの」
「波長が合うということなのよ。同じ場所にいても波長が合わなければ、それは会っていないのと同じ。波長が合えば、場所は関係ないわ」

 ”会う”と”合う”がどっちなのか混乱してくる。

「気持ちが大事ということでしょうか」
「そういうふうに言うこともできるわ」
「ねぇ、風沢そらさん」「風沢そらさん」
「妖精の国はどこにあるかご存知?」
「さぁ、妖精といえばケルト地方や北欧が思い浮かびますけど」

 オーロラファンタジーは妖精や花をモチーフにしたブランド。多分だけど、グリーン・グラスというデザイナーはデザイナーなりに、わたしにコミュニケーションをとろうとしてる。わたしのボヘミアンスカイに対してオーロラファンタジーがどういうブランドなのかって話をしようとしてるんだと思う。
 双子のデザイナーは少し表情を緩め、卓上の花に少し触れた。

「ケルトの妖精が住むのは、例えばトゥアハ・デ・ダナーンの移住した常若の国(ティル・ナ・ノーグ)などね」
「楽しき都(マグ・メル)、至福の島(イ・ラプセル)、波の下の国(ティル・フォ・スイン)…」
「山にも川にも海にも、家の中にだって、妖精は住んでるのよ」
「どこにでもいるということですか」
「そうね。そういうふうに言うこともできるわ。妖精の国、中つ国は現実の世界と常に重ねあわせられる状態でそこにあるの」
「時間の積もっているところ、かもしれないわ」

 世界にはいろんな異界観がある。少しづつ重なっているかも知れないけどきっと黄泉の国や天国とも違って、妖精の国は妖精の国としか呼べないようなあり方で成立してる。楽園、桃源郷、アアル、アルカディア、アガルタ…そういういろんな異界と、わたしの思う「自由な空」はどのように重なっているんだろう。

「つまり、グリーン・グラスさんは妖精の国にもアクセスできるから、現実世界の場所にはそれほどこだわらない、ということでしょうか」
「そういうことにしているの。私たちは妖精だってことにね」

 デザイナーにとって世界観を作りこんでインスピレーションを得ていくっていう工程はとても重要なこと。双子のデザイナーも想像力の源泉を大事にしてる。そういうことだとわたしは思った。

「W.B.イェイツによれば、ケルトの妖精たちの生き方もさまざまだわ。群れをなすシーオーク、メロウ、一人で暮らしているレプラホーン、クルラホーン、ガンコナー、ファー・ジャルグ…まぁ、妖精という言葉で括るのちょっと無理があるような気もするけど」
「妖精は、なにをするんですか」
「なんでもするわ、喧嘩もするし、愛しあったりもする。ただそこにいるだけのもいるし、悪さをするものも多い」

 なんだかすべての回答がはっきりしない。全然腑に落ちない。

「今とか、こことか、そういうものからときどきはずれたりして、みんなを驚かせるの」
「例えば、突然プレミアムドレスをプレゼントしたりね」

 そうだ。わたしはマリアのイメージを届けたくてここに来たんだ。

「そのマリアの新作プレミアムドレスのことで伺ったんです」
「そう、ちょうど今仕上げの段階にはいったところよ」
「星座プレミアムドレスの仕様になにか変更があるのかしら」
「いえ、そうじゃないんです。マリアが来れないので、その代わりにわたしが伺いました」
「フィッティングのことならば心配いらないと思うわ。結局今日までマリアさんと直にお会いすることはできなかったけれど、データは間違いなく調整してるから」

 変な話だけれど、グリーン・グラスというデザイナーはまだ会ってもいないマリアに星座プレミアムドレスを託そうとしてる。変人ばかりのアイカツ界デザイナーの中でも彼女たちは際立って特異な存在だって思う。

「でも、少し意外だったわ、風沢そらさん。あなたが来てくださるなんて」
「冴草きいさん?でしたっけ。彼女のときはこんなことしなかったでしょう?風沢そらさん」

 きいがプレミアムドレスを頼みに行ったときのことかな。
 この水晶宮にひきこもっている割に、グリーン・グラスというデザイナーは細かい事情を知っているみたい。

「マジカルトイのマルセルさんも、デザイナー会議のときにご挨拶しました。きいのマジカルトイに対する情熱も知っています。あの2人なら心配はないと感じていましたし、最終的にプレミアムドレスを託すかどうかはデザイナーとアイドルの間の関係で決めるべきだと思っているからです。わたしが何か言うことではないかなって」

 アイドルがデザイナーへアピールしプレミアムドレスを授かる。アイカツ界の常識みたいなことを今更言ってる自分がなんだかおかしい。グリーン・グラスというデザイナーは互いに少し笑みを浮かべながら質問を続ける。

「ではどうして、姫里マリアさんの場合はあなたが出てくるのかしら」
「マリアがグリーン・グラスさんに届けたいイメージがあるというのでそれを伝えにきました。マリアは屋敷でライブする予定があって、もうステージ入りしているのでここには来れなかった。だからその代わりに、ちょうど手のあいていたわたしが来たんです」

「あらあら」「あらあら」
煽っているのか、単にリズムを取ろうとしているのか、双子は互いの顔を覗きながら笑った。

「やっぱり、できることならマリアが直接来るべきだった。マリアもそう思っています」
「マリアさんが来れないことは別に問題ではないわ、わたしたちはそういったことは気にしない」
「それよりも今は風沢そらさん、あなたに興味があるのよ」
「わたしに?」
「そう」「そうなの」
「わたしはただ…」
「時間があった…それだけなら、他に時間のある人は沢山いたでしょう?」
「ドリーム・アカデミーにも、スターライト学園にもね」
「でもあなたはひとりでここへやってきた」
「まるで他の人には譲りたくなかったみたい」

 わたしに言わせたいことがあるっていう聞き方。

「時間があっただけではなく、ちょうどマリアの近くにいたから。わたしならデザインの細かいことだって伝えられるし、ひとりで十分だった。ということまで言えばいいですか」

 グリーン・グラスというデザイナーは人見知りで、会うときはひとりで尋ねなければならない、というのもデザイナー界ではよく知られたことだった。それなのになぜひとりできたのか聞くなんて。

「まぁ、そうね」「近くにいたから」「ちょうど、ね」「いいわ」
「ごめんなさい、ちょっとからかってみたかっただけなの。気を悪くしないでね」

「マリアさんが私たちに伝えたいイメージって、そうね、例えばデイジーとかかしら」

 はっとした。
 まだわたしは何も言っていないはずだった。デイジーはまだ鞄の中にある。

「どうしてそれを?」

「やっぱりそうだったのね」「別に知っていたわけじゃないわ、わかったのよ」
「わかった?」
「そう、あなたがマリアさんのイメージを伝えにきたと聞いたついさっきね。だとすればデイジーだろうって」
「たしかに、マリアはデイジーみたいな女の子だけど」
「私たちは妖精だから、そういうことは言葉を超えてわかるのよ、なんてね」
「でもきっと、マリアさんもどうしてデイジーのイメージが浮かんだのか、自分でも気づいてないでしょうね」
「妖精…」

 なんとなくわかってしまうなんて、わかり合えてしまうなんて。そんなことがあり得るなら、それは魔法って呼ぶしかない。そんな気がする。

 わたしはいちごちゃんの家から運んできたデイジーをグリーン・グラスというデザイナーへ渡した。
双子はやっぱりという顔をして興味深くその花を眺めていた。

「ふふふ」「うふふ」
「デイジーの花言葉は純潔、無意識、無垢…これもマリアさんにぴったりね、でも花言葉も所詮は言葉だわ」
「それだけでデイジーだとわかったわけじゃないの。言うならばオーロラファンタジーの想像力ね」
「やはりマリアさんはオーロラファンタジーのミューズに相応しいわ」
「もちろん、さくらも私たちの世界観をよく理解してくれている。でも今回はエモーションが重要な要素ね」
「恋みたいな気持ち、かしら」

少し間を置いた後、双子はドレスのひとつに目を映し、その最終確認の作業に入った。

「エネルギーに溢れながら、どこか儚い、そして誰かの幸せを願っている…そんな咲き方だわ」
「デイジーのイメージ、たしかに受け取ったわ。まったく予想外というわけでもないけれど、画竜点睛というやつね」

「あなたは、私たちに聞きにきたんでしょう?どうしてまだ会ってもいない姫里マリアさんに星座プレミアムドレスを託すのか」

 わたしはマリアに頼まれて、デイジーのイメージを届けにきた。でも双子のデザイナーが言うように、プレミアムドレスを託すってことはどういうことなのか、聞きたかったんだと思う。わたしは自分でデザインしたドレスを自分で着るから、人に託すってことがよくわからない。見知った仲でも容易く渡せるものじゃないのに、グリーン・グラスというデザイナーとマリアの間にはどういう信頼関係があるのか、知りたかった。でもわからなかった。グリーン・グラスというデザイナーはもうその問いについて答えてるんだ。オーロラファンタジーの想像力。妖精の運んできたもの。わたしにはわからない回路、わたしの踏み込めないところがあるんだってこと。
 どうしてマリアはわたしと違うんだろうって思っていた。でもそれは、同じだったらいいなっていうのの裏返し。そして、結局違うものは違うってわかっただけなのに、こんな気持になるなんて。

「マリアさんのことが大切なのね」
「ひとつ、聞いてもいいかしら」
「あなたのブランド、ボヘミアンスカイを着せたいとは思わないの」

 考えなくてもわかる。マリアにボヘミアンスカイは似合わない。
 似合うわけがない。

「マリアさんのことが好き?」
「もちろん、好きです。でもそれは」
「アイドルにLikeは必要ないわ。そうでしょう?」「そうでしょう?」
「ずるい…」思わず口走ってしまった。

 わたしはデザイナーでもあるし、アイドルもやっている。
 グリーン・グラスという双子は絵本作家でもあるし、デザイナーもやっている。
 わたしの身体はひとつなのに、引き裂かれているのはわたしの方だ。

「マリアさんは待っているわ。でも、あなたは待っているだけのマリアさんに苛立つことはないのかしら」

 マリアが待っているのはオーロラファンタジーのプレミアムドレスで、ステージの準備っていう必要なことをしてる。苛立つことなんてない。

トルソーにかけられたドレスが例の装置によってデータ化され、アイカツカードにその姿を変えていく。

「できたわ、牡羊座の星座プレミアムドレス、チロリアンアリエスコーデ」

 あれだけケルトの妖精の話をしていたそばで、双子のデザイナーが作っていたのはチロリアンなドレスだった。最初にケルトって言葉を口にしたのはわたしの方だったのだけど、わたしは自分がずれた話をしていたんだって気分になった。ケルトとチロルくらい、なにかがずれているんだって感覚があった。目の前のカードをよく見てみる。マリアにぴったりな、牧歌的で、開放的な、かわいい、ドレス。

「私たちって筆不精だけど、はじめましての挨拶くらい添えるべきよね」
「手紙と一緒にこのアイカツカードを届けてくださるかしら、風沢そらさん」
「はい、必ず届けます」

「そらさん」

グリーン・グラスというデザイナーは、初めてわたしを下の名前だけで呼んだ。

「デイジーの花言葉、もうひとつあったわ。花言葉って結構適当なの」
「なんでしょう」

「”あなたと同じ気持ちです”よ」

 グリーン・グラスはそう言いながら、わたしを抱きしめた。
 どういう意味だったんだろう。双子姉妹はわたしを哀れんだのかな。

 言葉を超えて分かり合える妖精たちの世界があって、わたしはそこにアクセスすることができない。

 妖精の羽根を持ってないと本当には自由になれないのかも知れない。そう思った。
 すぐ近くでヘリコプターのローターの音が聞こえる。プリンセス・ツーがもう一度飛ぼうとしている。
 こんなものは羽根ですらない。人間が空を飛ぼうとして、金属で作った歪なハリボテ。
 それでもわたしは大切なものを届けなくてはいけない。マリアが待っているところへ。

 不完全な羽根で赴くんだ。

■姫里マリア

 私は、そらを待ってる。
 デイジーのイメージはちゃんと伝わったかな。
 どうして私はデイジーを思い浮かべたんだろう。
 私がイメージを伝えたかったのはグリーン・グラスさんだったのかな。

 ううん、多分だけど、グリーン・グラスさんは伝える前にいろいろわかってるんだと思う。

 私は、今日の歌のためにデイジーのイメージが必要だったの。
 グリーン・グラスさんも私の歌う歌について考えてくれてるはず。
 私が本当に伝えたかったもの。それは歌。

 オーロラプリンセスっていう歌。
 本当は私の方が駆けつけていきたい。私の方から迎えに行かなきゃいけない。
 空を見上げるプリンセス
 ふと、何か叫びたくなった。

「そらー、私、待ってるからねー」

 オーロラプリンセスの歌の中では「だいじょうぶお待たせ」と言って相手のところへ舞い降りるわたしがいるのに。まるで正反対の言葉が、稜線の向こうからこだましてきた。

  待ってるのに、待たせてる。

 ―――私は天の邪鬼だ。

■グリーン・グラス(一年後)

「あの時はそらさんに意地悪してしまったわね、リサ」
「ふふ、エレナ。だってそらさんは強い人だもの。あの若さでブランドを軌道に乗せてる」
「そう、若さ。私たちがそらさんに提示できるのは、彼女の若さくらいだってわかってたわ」
「私たちは元絵本作家でありデザイナー、そらさんはアイドルでありデザイナー。この違いがそのままオーロラファンタジーとボヘミアンスカイの違いに直結するのなら、ボヘミアンスカイはこれからもっともっと伸びていくはずだわ。そらさんは自分自身で背負っていく部分が大きすぎるけれど、それを決心したのは彼女自身なのだから」
「絵本作家―物語作家である私たちは自分自身で物語を切り開こうとしていくそらさんが羨ましかったのかも知れないわ」
「だから意地悪になってしまったのだわ」
「でも、意地悪してでも、マリアさんを意識して欲しかったの」
「そう、それも私たちの本心よ」
「恋みたいな気持ちを大切にしてほしい。それが私たち物語作家が出来うる、したたかな介入だわ」
「妖精の役割、と言ったほうがいいかしらね」
「重要なのは同じかどうかではないわ、必要かどうかよ」
「相手を家畜にしてしまうかもしれない、もしくは単なるお人形さんにしてしまうかもしれない、そういった恐れみたいなもの」
「自分を、相手を壊してしまう恐れみたいなもの」
「必要としていることは確かなのに、それが自分なのかどうなのかもわからなくなったとき、そんな狭間に妖精はいるわ」
「私たちはそらさんとマリアさんの間で役割を演じようとしたけれど、星宮いちごさんはもう少し別の位相でうまく妖精を演じたわね」
「やはり私たちは絵本作家であって、アイドルではない、アイドルには敵わないと思ったわ」
「大スターいちごまつり、星宮いちごさんのリラフェアリーコーデは是非オーロラファンタジーで作りたかったドレスだわ」
「フェアリーの名を冠するならばね」
「でも私たちは星宮いちごさんと天羽あすかさんの絆も知っているし、星宮いちごさんの物語を上書きするようなことは控えて正解だったのよ。いちごまつりでは”恋みたいな気持ち”を言葉にしてくれる花音さんという人もいたのだし」
「妖精が多重に作用してしまうことになるのね」
「そう、星宮いちごさんと、神崎美月さん、大空あかりさんはそれぞれ絆を大切にしながら、糸車の呪いを解こうとしている。そこにはもう私たちの入る隙間はないわ」
「アイドル兼デザイナーという肩書なら、神崎美月さんも、そうね。難しい生き方をしてる」

「ねぇ、リサ、私は時々考えるのよ、私たちが絵本作家、物語作家として書けるものってなんなんだろうって。例えば風沢そらさんの弱い内面を綴った文章を書いたとしても、なにか書き切れてないと思うとき、一体何なら書けることになるのかしら」
「単に書くだけならば何でも書けるわ。エレナが言いたいのは、何が託せるか、ということでしょう」
「そうかしらね」
「あなたがそう思ってることは私にもわかる。そして、あなたにわからないことは私にもわからないわ」
「妖精にも」
「妖精にもわからないの」
「例えば大きな災厄を経験した人、呪いの糸に絡め取られてしまった人たちが星宮いちごさんや風沢そらさんの姿を見て何を感じ取るかは、私たちにはわからないわ。私たちは、そういった読者や視聴者が時間に刻み込んだなにかが降り積もったところで、ただ戯れるだけなのよ」

(終)

chisachi voice blog 2/27/2012

メディア芸術祭、「タイム」、マリヴォー研究会、「審判」

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今後10年は戯曲というものが必要なくなってくる予感がした。

演劇実験室万有引力
「奴婢訓」/”Directions to Servants”
原作:ジョナサン・スウィフト/Jonathan Swift
作・演出:寺山修司

演出・音楽: J・A・シーザー
美術・機械考案・衣装・メイク:小竹信節
構成台本・共同演出:高田恵篤

恥ずかしながら初見では読めなかった公演タイトルは奴婢訓(ぬひくん)。つまり奴婢の訓戒。もっと砕いて言うならば、召使のための諸注意といったところか。

「世界は、たった一人の主人の不在によって充たされている」

ツバの吐き方、尻の拭き方、洟のかみ方、
ありとあらゆるこの世の儀礼作法を逆手に取って、
下男、下女、召使い、料理人、馬番などの奴婢たちが、
美少年や貴婦人に返送し、中世へと逆流していく叛乱円舞曲!

十三人の女中が月食の夜に主人を縛りあげて、アリアを歌う!
理性に抑圧され、労働に加虐された人間犬たちは氾濫する

Ustream.tv: 過去のライブ: 奴婢訓:Recorded on 12/02/27. お絵描き

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奴婢訓, posted with vodpod

Le Fils Prodigue ou l’Amour Peintre

フランス演劇について、いつかちゃんと勉強したい。
僕の好きなフランス演劇たち。

先週友人の参加しているマリヴォー研究会に無理やり連れていってもらった。読み合わせで実際に読むのは何年ぶりだったのだろう?題材は「恋のサプライズ2」である。

恋のサプライズ2(恋の不意打ち2)/La seconde surprise de l’amour
マリヴォー/Pierre Carlet de Chamblain de Marivaux

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Rational Choice? or Anyting Goes?

脱演劇への挑戦

現在、池袋を中心に舞台芸術の祭典、フェスティバル/トーキョー11Festival / Tokyo 11)が開催されている。そのプログラムの一つである『Referendum – 国民投票プロジェクト』のオープニング集会が明日11日にあるので友人のAKG君と行くことになった。「Referendum – 国民投票プロジェクト」がどのような企画なのかよくわからないが、その集会で詳細が明らかになるようだ。Port B主宰の高山明による構成で綴られるプログラムなのだが、Port Bが昨年やった「完全避難マニュアル」がそうであるように、劇場の椅子に座ってみるStandardな形式の演劇作品ではない。「完全避難マニュアル」に僕は参加出来なかったのでその実体がよくわかっていないのだが、その説明をそのまま引用すると

山手線各駅周辺29カ所に設定した「避難所」を軸に、都市の不可視なコミュニティと観客を繋ぐシステムそのもの構築する。ネット上から、観客を都市の現実へと接続する「脱・演劇」への挑戦!

ということらしい。説明を何度聞いてもよくわからないので、僕は勝手にポケモンスタンプラリーみたいな参加型プログラムだと思っている。昨年はまとまった時間を確保することが出来ず、参加できなくて本当に残念だった。参加した友人からは一定の評判を聞いていたのでもどかしかったのだ。だから今年の「国民投票プロジェクト」も、現時点でどういう企画なのか全然わからないにも関わらず、結構期待しているというわけなのだ。
さぁ、「国民投票プロジェクト」の概要を参照してみよう。

1台のキャラバンカーが都内各所をツアー。戦後日本の夢と挫折、生と死、過去と未来をつなぐ「停留地」をめぐる。各フォーラムの模様はウェブでも報告。

A special truck will tour to various “stations” around Tokyo associated with post-war Japan’s dreams and set-backs, its life and death, past and future. Coverage of the events and forums will also be published online.

公式サイトによると
翌日10月12日から11月10日までの約一ヶ月間、都内各所をめぐるキャラバンカーを通してフォーラムやインスタレーションに触れる企画であるようだ。どのように「国民投票」が関わってくるのかも不明だが、インターネット上からの参加も可能ということになっているので時間を見つけて参加してみたいと思う。

僕は一応画学生であるのに想像力は貧困だ。「完全避難マニュアル」が「ポケモンスタンプラリー」みたいなものなのか?と思ったように、「国民投票プロジェクト」はAKB48の人気投票(AKB選抜総選挙)とか「電波少年」「あいのり」のような企画なのかな?と思ってしまい、いまいち掴めない。Port Bをよく知っている人からすればかなり失礼な表現だろうと思う。さすがにこれだけの情報では何もわからないので「国民投票プロジェクト」に関するインタビューが載っているという現代詩手帖を探しに街へ繰り出した。ーしかし、どの本屋に言っても置いていない。少し前には結構店頭で見た気がしていたけど、売り切れなのか発行部数が減ったのか、見事に全滅だった。最終的に市立図書館まで行くハメになるとは。とにかく閉館間際の図書館に駆け込んで流し読みをしてきた。

結局のところ、「国民投票プロジェクト」がどんな企画なのかはわからなかったが、やはり今年3月の東日本大震災と福島第一原発事故を避けて通ることは出来ないということらしい。原発の是非を巡った意見対立、大人と子供の意見の相違、被災者とそうでないと自認する人達との食い違い等を踏まえ、「システムの意思決定(形成?)」についてあくまで演劇的なapproachで考えていきたいという企画のようだ。企画が終わった後、誰もこの企画が「国民投票」であったと思う人はいないだろう、とも書かれていた。では一体これはなんなんだろう?投票すること、参加することが第一だという陳腐なメッセージで終わるはずがない。

「わたしたちの声」を抽出する方法として国民投票は、最も現実的かつ理想的なもの

とはいえ、明日のオープニング集会で企画のコンセプトも含めて説明されるようなので僕は今は下手な推理などしなくてもよさそうだ。その辺のことは後日また暇な時にBlogに書くだろうし、ここは少し脱線して「国民投票」そのものについてまとめておいて、それで予習をしたことにしようと思う。

国民投票で得られるものはなにか

民主的な意思決定というのは実は難しい。突き詰めて考えれば、選択肢の設定や投票形式、投票の手順を少し変えるだけでその結果に重大な影響をもたらしてしまうからだ。国民投票そのものは「わたしたちの声」を抽出する方法として「現実的」であっても「理想的」とは言い難い。
アロウの不可能性定理は3つ以上の選択肢がある時に完璧に民主的な(条件が厳密に定式化されていて、その意味において)決定はできないという定理だが、選択肢がYes or Noの2つだとしても、重大な問題が残ることになる。そもそもの命題、アジェンダ(Agenda)設定に欠陥があるかも知れないし、デュエム-クワイン・テーゼ等を考えると、投票の結果が誰にとって合理的なのかはよくわからなくなる。集団の意思決定は否定される側にとっては単なるストレスにしかならない気がする。震災+原発事故以来、いろんな場面で意見や価値観の相違が顕在化していて、(それはある意味で宗教的な対立かも知れない)そのストレスは多くの人にとって現在進行形の問題だと思う。国民投票も大雑把に言えば感情論なのかも知れないという不安、それと対比される合理的な意思決定とは何なのかという疑問を抱え続けていて、もうアナーキズムに走ってしまいたい気もする。

最近Amishに関する文献に目を通したりしていて、やはり人は宗教なしでは生きるのが難しいと感じる。科学も宗教的でないことは決して無いし、昨年流行ったマイケル・サンデルがわかりやすく紹介してくれたように、正義には無数のvariationがある。電気を使わないAmish達のように、小さなコミュニティで価値観を並列化して細々と暮らすのもいいかも知れない。だがスリーマイル島の先40kmにもAmishの集落があった。健康被害こそなかったようだが、電気を使わない人々も、電気を使う人々も連続した空間で生活している以上全くの無関係にはなれない。一方で「いろんな問題に感心を持たなくては行けない」と言って視野を広げ過ぎても破綻してしまう。世の中には語りえないものが多すぎるから、適当に切り取った小さな世界に意味づけして自分の振る舞いを決めるしかない。何かを無視することもまた同様に必要で、問題はそのバランスだ。

何かの意思決定をする時、僕らは何処まで目配せして、何処まで盲目になればいいのだろうか。そういう感覚を演劇はどう扱ってくれるのだろう。

Cross-dressing Boy & Clothes as Stage

男の娘、舞台としての衣装

男の娘という「状況」

男の娘という言葉はとてもDelicateだ。単なる女装趣味で片付けられるものではないし、Androgynous(両性具有)願望とも違う。「女の子にしか見えない男の子」である以上、男の娘は自分が男子であることを「露出」しなくてはいけない。学校で男の娘展という展示が近々催されるようなので僕ももう少し理解を深めたい。

男の娘を絵で見る時、なんとなくマグリット(Magritte)の「これはパイプではない」(Ceci n’est pas une pipe)という作品を思い出す。つまり、女の子が描かれているのに「これは女の子ではない」と言われているような気分だ。「これは女の子ではない」ならば「女の子の絵」なのか、そうかなるほど、と思う人はシュルレアリスム好きだろう。「これは女の子ではない」ならば「女の子にしか見えない男の子」に違いない、それでも可愛いならばなんでもいいや、と思う人は想像力が豊かで、かつ変態だろう。

男の娘は視覚情報で作品が完結していないと言えばいいだろうか。よく考えてみればそんなものは沢山あるので「特に」完結していないと言っておこう。男の娘というジャンルは強く物語性に依存していると思う。女の子にしか見えないという原則がある以上、その設定や物語性に頼らざるを得ない。絵という限られた空間の中で男の娘を表現するためには男の娘の男性性が露呈する場面を描くしかないように思える。一枚絵で男の娘を表現するには物語やシチュエーションをしっかり描ける技量が必要に違いない。

Shōjo manga, Girls’ comic is the best

In my opinion, Shōjo manga is the best kind of comics.

漫画というメディアを最も活かしているのは少女漫画だと思う。およそ漫画でしか成立しない表現が詰め込まれているからだ。パーツ毎にデフォルメ・理想化したものを再構成して出来たキャラクター造形もそうだし、非映画的なコマ割り/ページ構成も特徴的だ。例えば、少年漫画等では1コマだけ抜き出しても、その意味する場面などがわかるものが多い。それに比べて少女漫画の場合は点描で書いた丸だけのコマがあったりして、そういうコマはそのコマだけでは意味がわからない。ページ単位でシナリオや演出を構成しているという意識が強い。本という形態と表現手法がより一体になっていると思う。更に絵本などと違って明確に男子向け/女子向けの区別がある漫画の販売形態を考えると、一人称で恋愛を綴る少女漫画というジャンルが強いのは当然だ。

恋愛小説も良いが、何故かあまり読まない。僕は小説における地の文の「ずるさ」にいろいろ悩まされて来た。無機質な事実関係を記述したい時でも、どうしても第三者的な誰かから見た言葉になってしまう。舞台や映画では、例えば物理的な人物の配置関係やカメラワークである程度の無機質な情報を提供できる。もちろんそれらは言葉でない演出であって、完全に無機質なものではなく「誰かの」フレーミング、トリミングなのだが、僕は「情報を言語化するかどうか」というプロセスに重大な問題があると思っている。ある種の情報の欠損や、意図しないニュアンスが気になるというのなら、単に僕自身の言語能力の低さの問題かも知れない。言葉と意味が乖離するマニエリスム的、詩的表現ならば気にならないのだけど、より単純な事実関係を表現する場合、どうしても誰かのフィルターを通していて、そのフィルターが多すぎる感じがするのは僕だけだろうか?例えプロの文章であったとしても、だ。

だから一人称で恋愛を綴る表現であり、かつ長編で在り得る少女漫画は僕の中でしっくりくる。モノローグの虚実性も、人物造形の虚実性も、荒唐無稽な展開もバランスがとれている気がする。頭の中お花畑な世界の表現は、ケータイ小説よりも少女漫画の方が好きだ。

Fiera del Libro per Ragazzi di Bologna

 ボローニャ国際児童図書展はイタリア・ボローニャで毎年開催される児童文学や絵本の見本市だ。(規定等はwikipediaが詳しい。)併設されるボローニャ国際絵本原画展は絵本の原画5点で応募することが可能であり、新人イラストレーターの登竜門となっている。受賞作品は各国での巡回展にて見ることが出来る。かねてより興味があったので板橋区美術館で2011/7/2⇢8/14の間やっていた巡回展に行って来た。

 ボローニャ国際絵本原画展は1967年に始まり、今回で45回目の開催となる。58カ国2836作品の応募があり入選作品は76作品だった。さらに2010年度よりボローニャ・ブックフェアとスペインSM財団による共同企画として国際イラストレーション賞(ボローニャSM出版賞)という賞が新設された。これはボローニャ国際絵本原画展入選作家の中から35歳以下の者に授与される。受賞者は賞金30,000ドルに加えSM出版から絵本を出版する権利、翌年のボローニャ・ブックフェアで新作絵本が発表される権利が与えられる。第一回の受賞者はフィリップ・ジョルダーノPhilip Giordano関連記事)。驚いたことに新作絵本のテーマは「かぐや姫」だった。日本人ならば誰もが知っている昔話なのに、彼の手にかかると全く新しい物語に見える。かぐや姫と五人の王子、それぞれの解釈が面白くて、新鮮だ。古典を書き直す、という作業はお芝居においてもよく行われるが、絵本的な手法と演劇的な手法の違いについていろいろ考えさせられた。この話はいずれ別の記事としてまとめたい。

 絵と文章が互いに影響しあい、生命力を帯びてくる。絵本を読む体験はなんとなく音楽に似ている。キャラクターだと思っていた記号がただの図像になったり、文章によって別の意味が暗示されたりする。今回の展示はあくまで「原画展」であり、文章はついていない。(キャプションが少しの情報を与えてくれるが…。)絵だけ見ても、どんな話なのかさっぱりわからない。それは絵本として出版されたものを買うか、想像するしか無い。だけど展示されている受賞作品はもれなく、まさに絵本でしか体験できない想像力のFRONTIERへ僕を導いてくれる。

Once Upon A Time in iPhone

ケータイとiPhoneについてのEssay

ケータイについて

カナダ人女学生の友人とチャットをしていたら、彼女は「日本のケータイが欲しい」と言った。彼女はいわゆるカワイイ文化がお気に入りのようで、過大評価することが多い。何故かと僕が聞くと「日本のケータイはinnovativeだから」と言う。「まさか、確かに海外の携帯はたまごっちやポケベルに毛が生えたようなものも多いがiPhoneや他のSmart Phoneがあるじゃないか。」と僕が言うと、それらは高すぎると言われた。彼女の使っているのはLG Rumour 2という機種で、僕は思わず「なにその出土品」と言ってしまった。テンキー+QWERTYキー装備のケータイは今でもあるが、どうしてもWS011SHを思い出してしまう。なんだか懐かしくなってしまったのだ。

小中学生の頃、友達が居ない僕はメール機能等には興味がなかったので、欲しかったのは玩具みたいな子供心をくすぐるケータイだった。

ケータイがより精密機器になり、その製造過程も大きく変化してくると、機能と外観の包括的なデザインの幅が大きく広がった。90年代のやっつけ感のある製品に比べれば、日常の様々な場面を演出するようなデザインだ。

  • PRADA Phoneに代表されるようなブランドとのCollaboration携帯は大抵、表面的な部分だけ装っている様に思えてしまう。Productとしての完成度が低くて基本的に好みではない。唯一良いと思ったのはQ-POTというなんでもお菓子にしてしまうアクセサリーブランドとのCollaborationでSH-04Bという機種だ。見た目で分かりやすいブランドなのでケータイとのCollaborationに向いている。すっきりしているし、携帯を持ち歩く、使う、充電する、どの場面においてもクドくなく、程良くおしゃれだと思う。しかしCollaboration第二弾のSH-04Cは第一弾の良さがなくとても中途半端な印象になってしまった。
  • iidaは初期の公式Webサイトがベンチマークに最適と言われたほど演出過剰で重かった。iidaの製品も僕にとっては少し主張が強すぎる。Art Editionsは殆どケータイが邪魔になっている。

iPhoneについて

既にiPodが爆発的な人気を得ていた2005年、iTunesと同期できる携帯電話が発売された。Motorola ROKR E1関連記事SLVR L7)だ。しかしwikipediaにもあるように同期できる曲は100曲のみという驚くような残念仕様だった。そしてそれは同時に、apple自ら携帯電話を作るのではないかと予想するのに充分な証拠だった。マカーはこのころからapple製携帯電話を待っていた。

iPhone誕生のためにもうひとつ欠かせないものがある。タッチパネルだ。iPhoneよりもiPadの構想の方が先だったとされているが、これはマイクロソフトが推しだしたタブレットPCがきっかけになっていると思う。2000年〜くらいにappleも同じようなことを考えていたはずだ。

タブレットPCとiTunes携帯、この2つがiPhoneへ繋がる直系のGadgetだったと言っていいだろう。この2つの要素をiPod的な単純なユーザーインターフェースでまとめ上げようとしたのがiPhoneだ。それが如何に画期的なことだったかは関連書籍が充実しているのでそちらに任せるとして、2007年1月に初代iPhoneが発表されたのは驚くべき事実だと思う。異例の速さだ。

マイクロソフトが2002年に出したタブレットPCに対するappleのアイデアがiPadならば、appleなりに製品にまとめ上げるのに10年程かかったということになる。こちらは異常に遅いと言っていい。(大きなDisplayは相応の電力を消費するからバッテリーも強化しなくてはならず、iPhoneサイズよりも課題が多い。)消費電力やDisplayの質、タッチパネルの精度等の条件が充分揃うまでappleは(というよりジョブズは)製品化にゴーサインを出さない。好きかどうかはともかく、ブランドの考え方としてはとても勉強になる。

Discard what is not in use

「劇団員って考え方までAnalogだよね、慣例主義だよね。Schemeを壊そうとしないで売れようだなんて一番むずかしいしお金がかかるからやだ。お金かけないで効果のでかいことやるのが一番賢いってことにしようよ。」

という訳で学生劇団に所属していたときに僕が考えていたこと。

    • コンセプトがない劇団のWebSiteはいらない。

毎回同じジャンルのものをやれという訳ではなくて、前回公演を受けて次は何に挑戦するか等が見えてこないと誰も劇団のWeb Siteで定期的に情報を得ようだなんて思わない。売り込む場でなければ別に要らない。

    • 年度ごと、公演ごとにBlogやAddressを新設するのは意味が無い。

変化は必要だが、公演のブランディングと劇団のブランディングは同時にするべきだ。たまにインラインフレームとBlogサービスを同時に使っている劇団がいるが、この素人仕様もいろいろと分けて考える癖と結びついていると思う。更新頻度の高いコンテンツはblogに、頻度の低いページは単純なHTMLでデザインするべきだと思っている人が多いが余程特殊な事情がない限り全てblogにしてしまって問題ない。よくわからない人はとりあえずWordPress一つで何でも出来ると思っていて差し支えない。

    • 脚本は一人で書いても面白くない。

脚本家の実力が知りたいわけではなく、人がいっぱいいる組織がどのようにあるThemeを昇華するかの方が見せどころ。周りを見渡してみればすぐに分かるが本当にオリジナリティを持っている人とは同じ社会で暮らせない。脚本の面白くないところを指摘できないようではそのコミュニティ全体の質が問われる。また、Fast Draftの面白いところを増幅できなくても同様。

    • 情報宣伝とWebは統合する。

これも公演と劇団のブランディングを分けているので不要。

    • 映像はこれから利用する場面が増えるので抜かりなく撮る。

最低でもH.264で保存しておけば色んなデバイスで再生できる。新しい宣伝の仕方が登場してくるならば必ず過去公演の映像は役に立つはず。専門の役職を用意して不備のないようなデータを作る。

    • アフタートークはWebでも流す。

帰りの電車が心配になってしまう人もいるし、何より公演が終わったらそこで観客を突き放してしまうのは惜しい。継続的に誰かに興味を持ってもらうために公演終了後も意識する。次に来てもらう為にもアフタートークはWeb向きのコンテンツに成り得る。

    • DMもメールもやめてtwitterで宣伝する。

折り込みチラシも大抵はすぐに捨てる。要らないものを渡されても何も起きない。受付に置いておくくらいでいいのでは?情報がほしい人は自分からアクセスすればいい。折り込み文化とソーシャルメディアはテリトリーがかぶっている。個人発信のRecomendの方が有利な点が多い。

思い立ったが吉日

思い立った日が吉日っていうしね、もう私何もかも待たないことにしたの。13歳になるまであそこには入っては行けないって大人は言うけど、その歳まで私が生きている保証なんて無いし。私気付いたことがあるのよ、大人のいうことはいつも逆だってね。あの言いつけが逆なら、つまり、私がそこへ行けば13歳になれるってことに違いないと気付いたの。いつも私は損をして来たわ。でも今回はそうしたくないのよ。きっと私の命は短いわ、美人薄命って言うし、そんな予感がずっとしてるの。何故かは知らないけど、この機会だけは逃したくないのよ。
雨が降っている、少女は、幾度目かの家出の行先を廃墟に決定した。透明なビニール傘とレインコートを羽織った。その内側にはピンクとか黄色の強い色のカーディガンだった。レインブーツの柄はステンドグラスみたいにキラキラしてる。カラフルなものを全て透明なもので覆った。
「来たよ、来たよ、人間が来たよ、何歳?何歳?君は何歳?」
リス達が高い声で迎える。彼らはここの番人だろうか。
「13歳よ。」
少女は嘘をつくのが得意だった。「絵本は持って来た?君の描いた絵本だよ。」「勿論、自慢の出来だけどびっくりさせたいから今はまだ見せられないわ。」絵本が必要だなんて少女は聞いていなかった。「ここに誰かいるの?」自分の中で小さくつぶやいた。リス達の言うことに動揺しているなんて認めたくなかった。「リスに負ける程ヤワではないわ。」リスは歌うように合唱し始める。少女はある程度聞き流しながら巨大な建造物ー既に廃墟になっているーの中に入って行く。

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