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カイエ、もしくはスクラップ・ブック
第70回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したリューベン・オストルンド監督作品
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』についての短評。ネタバレあり。
以下、簡単に作品情報を掲載する。いずれも日本版公式サイトからの引用。
予告編
あらすじ
クリスティアンは現代美術館のキュレーター。洗練されたファッションに身を包み、バツイチだが2人の愛すべき娘を持ち、そのキャリアは順風満帆のように見えた。彼は次の展覧会で「ザ・スクエア」という地面に正方形を描いた作品を展示すると発表する。その中では「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」という「思いやりの聖域」をテーマにした参加型アートで、現代社会に蔓延るエゴイズムや貧富の格差に一石を投じる狙いがあった。ある日、携帯と財布を盗まれてしまったクリスティアンは、GPS機能を使って犯人の住むマンションを突き止めると、全戸に脅迫めいたビラを配って犯人を炙り出そうとする。その甲斐あって、数日経つと無事に盗まれた物は手元に戻ってきた。彼は深く安堵する。一方、やり手のPR会社は、お披露目間近の「ザ・スクエア」について、画期的なプロモーションを持ちかける。それは、作品のコンセプトと真逆のメッセージを流し、わざと炎上させて、情報を拡散させるという手法だった。その目論見は見事に成功するが、世間の怒りはクリスティアンの予想をはるかに超え、皮肉な事に「ザ・スクエア」は彼の社会的地位を脅かす存在となっていく……。
信頼と思いやりの領域
『ザ・スクエア』は現代美術のありがちな場面を皮肉たっぷりに描いている。
例えば序盤に次のような場面がある。
キュレーターであるクリスティアンは(おそらくは展示のオープニングイベントか何かで)劇中作品の「ザ・スクエア」について、ニコラ・ブリオー『関係性の美学』をベースにした作品だと説明しようとするが、突如理論の話を中断し、カジュアルな言葉で場の空気を掴む。
まるでお堅い理論の話はしようと思えばできたとでも言いたげだが、実は『関係性の美学』への言及を早い段階で切り上げることまで事前にトイレの中でリハーサルしている。キュレーターの言葉は往々にして衒学的なパフォーマンスでしかないというギャグなのだ。クリスティアンは『関係性の美学』について語れない。
それでも、大きな美術館のキュレーターには権威がある。クリスティアンのスピーチを行儀よく聞いていた聴衆はその直後のシェフの話―料理の説明はまったく聞こうとしない。キュレーターはキュレーター様だが、料理人は所詮料理人であり、今後のビジネスに影響しないどうでもいい存在としてコントラストされる。そして人々の素朴な差別意識が本作のテーマとして何度も反復される。クリスティアンが代表するエリート男性の自意識は物乞いやアメリカ人女性ジャーナリスト、ゴリラのマネをするパフォーマーらを舐めている。
「権力はセクシーだと認めろ」
劇中でクリスティアンの信条を表す印象的な台詞である。いくら反芸術や反体制(政権)を謳っていても美術/芸術は結局のところ権力ゲームの一部であり、本当に弱い立場の人にとっての救いにはならない。むしろ反体制的な言説によって自己満足している段階では、芸術作品は弱者をさらに傷つけるものだということを『ザ・スクエア』は描いていく。
劇中作品の「ザ・スクエア」は思いやりの聖域であるが、言ってしまえばそれはリベラルごっこの領域でしかない。クリスティアンが傷つけた人物はそのことを示すように画面(劇中作品ではなく映画としての『ザ・スクエア』)からも追いやられていく。ここでいう弱者とは例えば時間の使い方などを自分でコントロールする余裕を持たない人々のことだ。クリスティアンが謝罪しようと思った時点では遅すぎた。開き直るよりはいくらかマシだが、謝罪するかしないかを選択できる立場にあったことそれ自体に目を向けなければならない。
はたして行政が設置したものだけが「排除アート」なのだろうか?映画を見ている「わたしたち」が見ようとしていないものはなんなのか?そしてこのような問いすら自己追認のためのリベラルごっこアピールとして回収されてしまうのか?まぁそういうことを考えながら見ると面白いだろう。
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